死の恐怖をさらに悪化させること

先日、病院で 50 代の独身女性事務員と話していて、その人が「新型肺炎で死ぬのは怖くない」と言うのでびっくりしました。
理由を訊くと、「独身だし、思い残すことはあまりない」とのこと。

なるほど、少しだけ参考になりました。

死ぬのは怖いに決まっているし、その恐怖を完全になくすことはできないのですが、その恐怖をより大きくすることはできます。

家族やら趣味やら仕事やらをいろいろと持っていると、それらを失う喪失感が死の恐怖をより大きくする

人間というのは、ヤドカリが貝殻の上のいろいろなものをくっつけるようにして、 自分の自我の周囲に可能な限りの属性をあれやこれやとくっつけると自我が安定すると思い込んでいるようです。

もし、死の恐怖を少しでも減らしたいのであれば、要らないものは可能な限り捨てるというのも一つの方法かもしれません。

女性は、要らないものをたたっ斬るのに心理的な抵抗があまりないような気がします。
これは妻の行動やら、40 年以上も前に失恋した時のことを思い出しても、女性の方が男よりもはるかに腹が座っており、過去に思いを残すことが少ないように思います。

ところが、男は妻に母としての役割も要求し、つまり精神的に依存しているためこころの中に女性のような芯の部分がなく、自分自身に依拠することができないのかもしれません。

いっそのこと医者をやめてみる

自分の属性のうちで最も重要なものの 1 つが医師であることでしょう。
外科医を 30 年近くやっていましたが、手術は猛烈に面白くてお金の問題を越えて手術そのものに熱中していました。 誤解を恐れずに言えば、手術を楽しんでいたのだろうと思います。

手術をしている時によく感じたのは、時間がなくなるという感覚でした。
ふと気がつくと 2 時間経っていたというのは、特に若い時にはよくありました。禅でいうところの「絶対的合一感」なんでしょうか?

自分の中心属性の医師という属性を剥がしてみるとどうなるんでしょう?
生活もあるので完全に剥がすことはできないのですが、給与が半分になっても生活はなんとかできるので、例えば常勤をやめてみるとか。

考えたみただけでも肩の重荷が少し軽くなったような気がします。
こういうのって、かりそめにもやってみると戻れないことがあります。一旦おろした荷物を再び肩に担ぐのはとてもしんどい。 その時に、それまで担いでいた荷物の重さを思い知ることになります。 これは、子供の頃に刈り取った稲を肩に担いで、獣道みたいなところを何Kmも運んだ経験で実証済みです。
ということは、逆にいうとそんな重い荷物はおろしてみるのありかもしれません。だって、もうすぐ死ぬという前提なんですから。

(2020年4月24日)