理想の死とは

自殺でもしない限り自分で死ぬ方法を選ぶことはできないのですが、それでもこのように死にたいと考えることは無駄ではないように思います。

私が以前から考えてきた理想の死は「ガンで死にたい」という結論でした。

もう 40 年も前になりますが、私の両親はどちらも脳出血で、倒れてから母は 2 日・父は半日で急死しました。
母は 54 歳、父は 64 歳でした。とても短命です。
あまりにも突然亡くなったので、私は「あんまりじゃないか」と慨嘆したものです。何か言いたかったことがあったのではないか。


医師になって 40 年いろいろな患者さんを見てきた結果、一番避けたいのが寝たきりで胃瘻(胃に穴を開けて)から栄養を入れられ、 歩くことも話すことも考えることもできず、延々と生かされる状態です。そんな状態でも痛みはあります。

本人にほとんど思考能力はありませんがもしあれば「もういいよ」と思っているはずです。
家族も医師も社会も国家もみんな「もういいよ」と思っていても、しかしどうにもなりません。
安楽死は許されていないからです。

もしできることがあるとすれば、自分の意思をハッキリと表明できる状態で、そのような単なる延命措置を拒否する旨を家族などにしっかりと頼んでおけば、 尊厳死という形の死を選ぶことはできると思います。


なぜガンで死にたいのかというと、おおよそあとどのくらい生きられるかということがわかっている方が時間の濃度が濃くなるような気がするからです。

「露の身ながら」という本の中に以下のような記述があります。

その先生は、神経疾患の患者さんにくらべると癌患者さんは輝いているとおっしゃるのです。

また、30 年ほど前に新聞で以下のようなフレーズを読んで心に残りました。

いつも身近に死を感じることによって人生はとても素晴らしいものになる。

やはり死が避けられないとすればガンが一番いい。

(2020年4月14日)