終末のフール(伊坂幸太郎)

10 年ほど前に伊坂幸太郎の「終末のフール」を読んだことを思い出しました。

数年後に惑星が地球に衝突して全人類は完全に滅亡することがわかっていて、その場合人はどのように生きるのかというテーマだったと思います。

当然ながら、 自暴自棄になったり、ごく淡々と生活したり、家族との関係を修復したりと登場人物はさまざまな行動をとるのですが、 淡々と普段通りの生活を続けながらその時を待つというのがいいのではないだろうかとその時感じたものでした。

ただ、その当時は自分が死ぬという実感などあろうはずもなく、死ぬことはもちろん他人事ではありました。 そういう意味では今回は当時とは比べ物にならないほどの恐怖感があります。

理念的には「いまを生きる」ということに徹することができればといいと思うのですが、これがとても難しい。

65 歳というそれなりの歳になったにもかかわらず、邪念の塊のような私は、過去に引きずられたり、ありもしない未来の夢をみてばかりいます。

50 歳前後に玄侑宗久さんの禅の本を盛んに読み、一部をスキャナーで読み込んで OCR でテキスト化し、私のバイブルとしようと決心したのですが、 最近はあまり読んでいませんでした。
玄侑宗久さんは私より 1 歳年下ですが、その著作物はとてもわかりやすく説得力があると思っています。
禅の本の中に「いまを生きる」ことに対するヒントがあると思うのですが、それが私の心に染み付いていないようです。

もう一度、「終末のフール」と「禅的生活」を読んで、「いまを生きたい」と思います。

(2020年4月15日)

終末のフールをもう一度読んでみた

小惑星が 3 年後に地球に衝突して、恐竜が絶滅したように人類も滅亡することがわかってしまって人々はどのように生きるのかという重いテーマですが、 伊坂幸太郎独特のユーモアがあちらこちらにちりばめられていて、本来悲惨な話なのに思わず笑ってしまう内容ではあります。

作者が言いたかったことが最後の方に書いてあるように思います。

とにかく未来を、私たちの未来を、1 分でも 1 秒でも長く生かすために、なりふり構わず腕を伸ばす。きっとそうだ。

これは間違ってはいないと思いますが、終活としてはあまり参考にはならないかも。

新型肺炎で死ぬと決まっているわけではないんだし、みっともなくても何でもギリギリまで生きようとする方が少なくともあまり鬱にはならないかもしれません。 命とは本来そういうものなんでしょう。

(2020年5月5日)